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第33話 八人目の住人

مؤلف: なつめ
last update تاريخ النشر: 2026-08-24 08:50:11

 王域の紫光が闇の向こうに見えた時、リュゼルは自分でも気づかないうちに息を吐いていた。骨の谷を離れてから何度も背後を振り返り、地図へない分岐を二つ避け、途中で一度だけ魔物の気配をやり過ごした。正体の分からない八人目の骨については、その場を荒らさず位置だけを記録し、改めて調べることにした。墓碑紋はいまだ右腕の内側で鈍く疼いていたが、城へ近づくにつれて頭の内側を満たしていた死者の声は遠ざかり、代わりに聞き慣れた水音が戻ってきた。

「結界は無事ね」

隣を歩くネフィリアが呟いた。疲労を悟られまいとしているのか背筋は伸びていたが、歩調は城を出た時より遅い。足元を漂っていた影鳥が一羽、主の帰還を待ちかねたように旋回し、黒紫色の尾を引きながら門の内側へ飛び込んでいった。

「子どもたちも問題なさそうだな」

リュゼルは結界の向こうへ目を凝らした。気配が五つ固まっている。何かあれば奥の小部屋へ逃げるよう命じていたが、少なくとも今は広間近くに集まっているらしい。

後ろから歩いてくるイセラは、何も言わなかった。包帯を巻き直した左腕を庇うような仕草も見せず、琥珀色の瞳で城を観察している。黒豹の耳は前を向き、長
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  • 捨てられた荷物持ちは、深淵の王女に唯一の王と呼ばれる   第33話 八人目の住人

     王域の紫光が闇の向こうに見えた時、リュゼルは自分でも気づかないうちに息を吐いていた。骨の谷を離れてから何度も背後を振り返り、地図へない分岐を二つ避け、途中で一度だけ魔物の気配をやり過ごした。正体の分からない八人目の骨については、その場を荒らさず位置だけを記録し、改めて調べることにした。墓碑紋はいまだ右腕の内側で鈍く疼いていたが、城へ近づくにつれて頭の内側を満たしていた死者の声は遠ざかり、代わりに聞き慣れた水音が戻ってきた。「結界は無事ね」隣を歩くネフィリアが呟いた。疲労を悟られまいとしているのか背筋は伸びていたが、歩調は城を出た時より遅い。足元を漂っていた影鳥が一羽、主の帰還を待ちかねたように旋回し、黒紫色の尾を引きながら門の内側へ飛び込んでいった。「子どもたちも問題なさそうだな」リュゼルは結界の向こうへ目を凝らした。気配が五つ固まっている。何かあれば奥の小部屋へ逃げるよう命じていたが、少なくとも今は広間近くに集まっているらしい。後ろから歩いてくるイセラは、何も言わなかった。包帯を巻き直した左腕を庇うような仕草も見せず、琥珀色の瞳で城を観察している。黒豹の耳は前を向き、長い尾は低い位置でゆっくり揺れていた。昨夜まで一人で奈落を歩き続けていた女にとって、他人の住処へ足を踏み入れるというだけで警戒する理由には十分なのだろう。三人が結界を越えた途端、空気の温度が変わった。冷えた奈落の湿気が背後へ遠ざかり、王域に満ちた穏やかな熱と清浄な水の匂いが肌を包む。ネフィリアの肩がほんの少し下がったのを、リュゼルは見なかったことにした。その直後、回廊の奥から激しい足音が聞こえた。「リュゼル!」最初に飛び出してきたのはシュカだった。その後ろから他の子どもたちも走ってくる。最年少の少女など靴を片方きちんと履けておらず、踵を踏んだまま、それでも止まる気はないらしい。「走ると転ぶぞ」言い終わる前に、シュカが腹へぶつかった。続いて左右から小さな身体が次々と外套へまとわりつき、重い背嚢を背負ったままのリュゼルは危うく後ろへ倒れそうになる。数日前なら困惑していただろうその重みを、今は反射的に両腕で支えていた。「遅い!」「ちゃんと戻るって言っただろ」「でも遅い!」「予定より少しだけだ」「いっぱい遅い!」言い争いながら、シュカの目が赤いことに気づく。眠れていなかっ

  • 捨てられた荷物持ちは、深淵の王女に唯一の王と呼ばれる   第32話 生き残った者の罪

    七つの墓を背にしたまま、イセラは夜明けのない空洞を見つめていた。奈落の深層には朝も夕暮れもない。時間を示すものは灯石の燃え方と身体の疲労だけで、骨の谷には相変わらず白灰色の闇が横たわっている。昨夜掘った墓の土はまだ乾いておらず、掘り返した岩粉の匂いに、古い骨と血の残滓が混じっていた。リュゼルは出発の支度を整えながら、何度かイセラの背中へ視線を向けた。彼女は動かない。七つの墓標には、それぞれ湾曲刀の先で刻まれた名がある。ハルク。セラド。ナージャ。ヴァド。ルース。ミア。そして、最も小さな墓に刻まれたリナ。文字は均一ではなく、最後の名だけ少し深かった。「行かないのか」リュゼルが声をかけると、イセラの黒い耳がわずかに動いた。「どこへ」「昨日の続きを調べる。谷の北側に食べられそうな菌床があるかもしれない。戻り道も別に一本探す」「その後は」「城へ戻る」イセラはそこで初めて振り返った。昨夜より顔色は戻っているが、左腕の包帯にはまだ薄く血が滲んでいる。琥珀色の瞳はいつも通り鋭く、それでも墓を見つける前より、ほんのわずかに疲労の色が濃かった。「私は行かない」リュゼルは驚かなかった。「分かった」あまりにも簡単に答えたためか、イセラが眉を寄せる。「止めないのか」「止めてほしいのか?」「そうは言ってない」「なら止めない」ネフィリアは少し離れた岩へ腰掛け、二人の会話を聞いていた。紫紺の瞳だけが行き来する。イセラは鼻を鳴らした。「私は群れに入るつもりはない」「うん」「誰かに守られる気もない」「分かった」「命令されるのも嫌いだ」「それは見れば分かる」「……お前、本当に腹が立つな」「何でだ」「普通はもう少し引き止める」「引き止めたら残るのか?」イセラは答えなかった。リュゼルは背嚢の紐を締め直した。彼女には行く場所がない。その言葉は昨日、墓を掘り終えた後の沈黙の中で聞いた。地上へ戻れば、昔の奴隷商やその後ろにいた組織に見つかる可能性がある。獣人の集落へ戻る道も失われている。仲間と呼んだ者たちは、今、目の前の土の下にいる。それでも。行く場所がないことと、誰かの場所へ入ることは同じではない。リュゼル自身、それを誰より知っている。「来たくなったら来ればいい」何でもないことのように言う。イセラが鼻で笑った。「場所も教えずに

  • 捨てられた荷物持ちは、深淵の王女に唯一の王と呼ばれる   第31話 七人分の墓

    骨の谷を進むほど、イセラの足取りは遅くなっていった。道に迷っているわけではない。むしろ、忘れたはずの景色が一つずつ戻ってきているようだった。白く乾いた骨の斜面を越え、岩壁が細く裂けた場所へ入るたび、彼女の黒豹の耳が小さく動く。鼻先が風を拾い、琥珀色の瞳が足元の石や壁の傷を確かめる。そのたびに立ち止まり、しばらく何も言わず、また歩き出す。リュゼルは少し後ろを歩いていた。先頭を譲ったのは、道を知っているからだけではない。ここから先は、イセラの場所だと思った。足元には、誰かがかつて通った痕跡が残っている。灰色の岩へ半ば埋もれた布片。長い年月で色は失われているが、端に赤い刺繍糸が一本だけ残っていた。イセラがしゃがむ。指先で布へ触れようとして、止まった。「知ってるのか」リュゼルが尋ねると、彼女はしばらく答えなかった。「ハルクの外套だ」低い声。「赤い糸を縫ったのは、ミアだった」誰なのか説明はしない。それでも、それが仲間の誰かであることは分かった。イセラは布を拾わなかった。ただ一度だけ指先で端を撫で、立ち上がった。少し先では、折れた矢が骨の間へ刺さっていた。鏃は錆びている。軸の木は腐り、半分ほどしか残っていない。「これは?」リュゼルが訊く。イセラは見ただけで分かったらしい。「セラド」「弓を使ってた?」「ああ」短く答え、矢の横へしゃがむ。「下手だった」「弓兵なのに?」「本人は上手いと思ってた」わずかに口元が動いた。笑みとは言えないほど小さい。それでも、これまでのイセラにはなかった表情だった。「止まってる標的には当たった。動いてる相手には、よく外した」「それは結構まずいな」「だから私が先に脚を切ってた」「なるほど」「本人は『連携だ』って言ってた」今度こそ。イセラの口元がほんの少しだけ緩んだ。すぐに消えた。その後も痕跡は続いた。石の隙間に挟まった獣人用の耳飾り。小さな牙を三本束ねた首飾り。切れた革紐。竜人が身につける爪飾り。どれも朽ちかけている。どれも。イセラには分かる。「ここを通った」彼女が呟く。「間違いない」声が少しずつ固くなっていた。リュゼルの墓碑紋は、谷へ入った時から熱を持ったままだった。耳に聞こえない声が、絶えず頭の奥へ流れている。《暗い》《帰りたい》《誰か》

  • 捨てられた荷物持ちは、深淵の王女に唯一の王と呼ばれる   第30話 死人を食う男

    イセラの視線は、リュゼルの右腕から離れなかった。黒銀色の墓碑紋は、灯石の青白い光を受けても光らない。むしろ周囲の明かりを吸い込むように沈み、皮膚の下へ食い込んでいる。骨の谷を吹き抜ける冷たい風が外套の裾を揺らし、積み上がった無数の骨が微かに擦れ合った。かさり、かさりと乾いた音が続くたび、リュゼルの頭の奥では、まだ消えきらない死者の囁きが薄く重なっていた。イセラはその音とは別の何かを聞いているように、黒豹の耳を後ろへ伏せた。「死人を連れてる」もう一度、低く言う。「一人や二人じゃない」リュゼルは腕を下ろしかけたが、イセラの視線がそれを追ったため、止めた。「連れてるって言われても」「とぼけるな」湾曲刀へ手が伸びる。抜いてはいない。それでも、いつでも抜ける位置だ。イセラは一歩だけ距離を取った。「屍喰らい」その名を聞いた瞬間、ネフィリアの表情が変わった。「何ですって?」声が冷える。イセラは彼女へ視線を移さない。「奈落で昔から言われてる怪物だ」「怪物?」リュゼルが眉を寄せる。「死体を食う。死んだ奴の力を奪う。剣士を食えば剣を使えるようになり、術師を食えば術を盗む。何百人、何千人と食って、最後には自分が誰だったかも分からなくなる」イセラの琥珀色の瞳が、墓碑紋を睨むように細まる。「身体中に黒い墓印が広がって、最後は人間の形すら失うって話だ」骨の谷の空気が、一段冷たくなった気がした。リュゼルは反射的に右腕を見る。紋様は手首から前腕へ伸びている。最初に現れた頃より、明らかに広がっていた。古代魔獣ヴァルディオスを看取った時。その力と記憶を受け継いだ時。さらに死者溜まりへ近づき、無数の声を聞くようになってから、黒銀色は以前より濃くなっている。最後には人間の形すら失う。その言葉だけが、嫌に耳に残った。「違うわ」ネフィリアが前へ出る。彼女の足元から黒紫色の影が薄く広がった。攻撃ではない。ただ、リュゼルとイセラの間へ割り込むように。「彼は奪っていない」イセラがようやくネフィリアを見る。「随分と信じてるんだな」「知っているだけよ」「何を」「彼がどうやってその力を得たのか」イセラの耳が僅かに動く。「死人本人に聞いたのか?」「そうよ」即答だった。今度はイセラが黙った。骨の谷に、遠くで骨片が崩れる音が響く

  • 捨てられた荷物持ちは、深淵の王女に唯一の王と呼ばれる   第29話 黒豹の女

    血に濡れた大剣は、持ち主を失っていた。石床へ深く突き立った刃の脇に、半ば白骨化した巨躯が横たわっている。鎧の隙間から覗く骨格は人間より明らかに大きく、砕けた兜の左右には角らしきものが残っていた。死んでからどれほど経つのか分からない。それなのに刃へ付着した黒い液体だけは乾いておらず、灯石の青白い光を濡れたように返している。だが、リュゼルの目を奪ったのは大剣でも死体でもなかった。その向こうに、途方もなく広い谷があった。岩壁に囲まれた空洞という言葉では足りない。天井は灯石の光が届かないほど高く、左右の壁も闇の奥へ消えている。谷底を埋め尽くしているのは土ではなく、骨だった。獣の肋骨、人間の頭蓋、角を残した魔族の骨格、翼膜だけが黒く乾いた竜種の残骸。それらが幾層にも積み重なり、白灰色の斜面となって遥か奥まで続いている。そして、その骨の海の中央で。一人の女が戦っていた。褐色の肌。顎のあたりで鋭く切り揃えられた黒髪。頭頂から生えた丸みのある黒い耳は、獣のそれだった。腰の後ろから伸びる長い尾が、身体の動きに合わせてしなやかに揺れている。獣人。女は二本の湾曲刀を握っていた。右の刃で襲いかかる骨蜘蛛の前脚を受け流し、左の刃を胴体の下へ滑り込ませる。硬い外殻が擦れ、火花が散った。刃先が奥に隠れた黒い核を正確に穿つと、巨大な蜘蛛の身体が一瞬硬直し、そのまま何百もの骨片へ崩れ落ちる。「速い……」リュゼルは思わず呟いた。実戦経験の差は見ただけで分かった。踏み込む位置。刃の角度。次の敵を見る視線。一つの動作が終わる前に、すでに身体が次へ向かっている。無駄がない。それでいて機械的でもない。足場となる骨が崩れることまで計算し、滑るなら滑る動きのまま刃を振るう。自分より遥かに強い。少なくとも今のリュゼルが、正面から一対一で勝てる相手には見えなかった。それでも。「まずいな」女の左腕から血が流れている。肩口から肘にかけて大きく裂けており、黒い革鎧が赤黒く濡れていた。動くたびに傷口が開き、血が指先を伝って湾曲刀の柄へ落ちている。骨蜘蛛はまだ十を超えていた。死者溜まりの魔力を吸って動いているのか、身体の大部分は獣や人の骨を無造作につなぎ合わせたような形をしている。一体倒しても、周囲の骨山から新たな脚が突き出してくる。「行くぞ」リュゼルが踏み出した。

  • 捨てられた荷物持ちは、深淵の王女に唯一の王と呼ばれる   第28話 死者が道を教える

    城を出てから、およそ二時間が過ぎていた。奈落に太陽はなく、空の色で時刻を測ることもできない。それでもリュゼルは歩数と休憩の回数、灯石の燃え方を身体に刻み込むようにして時間を数えていた。最初の一時間ほどは、城の周囲と大きな違いのない岩の通路が続いた。湿った灰色の壁、ところどころに群生する青苔、天井から落ちる冷たい水滴。シュカたちが話していた赤い岩場も通り抜けた。地熱を含んでいるらしく、掌を当てると人肌ほどのぬくもりがあり、そこだけはわずかに硫黄に似た匂いが漂っていた。ネフィリアは何も言わず歩いている。歩幅は一定だった。少なくとも、そう見えるようにしていた。リュゼルは前を向いたまま、背後から聞こえる足音へ意識を向けた。右、左。右、左。革靴が石を踏む音は乱れていない。ただ、最初より一歩ごとの間隔がわずかに長くなっている。呼吸も静かだが、時折鼻から深く息を吸っていた。まだ休ませるほどではない。そう判断し、リュゼルは自然なふりをして歩く速度を少し落とした。すぐ後ろから声が飛ぶ。「私に合わせているの?」「道が悪くなっただけだ」「今までと変わらないけれど」「石が滑る」「乾いているわ」「細かい砂がある」「ないわね」間を置いてから、リュゼルは振り返った。「元気そうだな」ネフィリアは紫紺の瞳を細めた。「喧嘩を売っているのなら買うわよ」「元気ならいい」それだけ言って前へ向き直る。背後で小さく息を吐く音がした。怒ったのか、呆れたのかは分からない。ただ、歩調はそのままになった。やがて通路の幅が広がり始めた。最初に変化へ気づいたのは匂いだった。湿った土とも、腐肉とも違う。乾いた骨を砕いた時に漂う、わずかに粉っぽい匂い。リュゼルは足を止める。灯石を高く掲げた。青白い光が壁面を滑る。そこから何かが突き出していた。白い。細長い。「骨……」近づく。岩壁へ半ば埋もれるように、人間ほどの長さを持つ骨が一本突き出している。大腿骨に見える。だが、太い。人間のものより一回り大きい。さらに灯石を横へ向ける。一本だけではなかった。壁のあちこち。石の割れ目。床。天井近く。数えきれない骨が、岩と一体化するように埋まっている。ネフィリアが隣へ並んだ。「魔物だけではないわね」「ああ」すぐ近くの壁には、明らかに人間の頭蓋骨が

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